第一回・お遍路日記 <起の巻>   オーナー和さんによる遍路旅日記 2002年03月21日号〜2002年4月23日号 

旅日記の一覧はこちら


< 遍路旅ひとまず終わり > 2002年4月23日 記

一昨日同行祐治さんと別れる。一人旅歩いた歩いた五十キロ、十時間今回最後の寺、四十三番札所明石寺にお参りする。

友人、浩太郎パパがお出迎え高校卒業まで過ごした八幡浜へ、飲んだ、食べた海の幸、おこぜ、媛っ子さばの刺身、にぎり、地酒の吟醸純米、しめはラーメン、うまかった。




< 明日で今回の旅は終わり > 2002年4月20日 記

宇和海を左に見ながら宇和島を目指す。途中遍路道へ入る、雨のなか標高五百メートルをいっきに登る。頂上からの景色がすばらしい、宇和海に突き出た由良半島、藤原水軍で有名なひぶり島を始として大小の島島が靄の中に浮かんでいる。幻想的
祐治さんとのお別れ会地酒英光を一本あける。

< 伊予の国には新近感 > 2002年4月19日 記

昨日は三十九番札所をお参りし土佐宿毛市に宿をとる。今日は久し振りの旧遍路道の旅、里山の小径、一汗二汗かいた峠への登り、初孫への親戚一同からのプレゼントかこいのぼり六尾、吹き流し三尾そしてのぼり五、照葉樹林のなかでも勢力を占める椎の木の若葉がひときは目をひきます。三十キロ歩いて伊予御荘町の観自在寺へ。
街を流れる川が印象的、水が奇麗、ゴイサギやカモなど水鳥が人を恐れる事無く遊んでる。




< 今日で土佐ともお別れ > 2002年4月18日 記 その二

三十九番札所延光寺で土佐のお遍路も終わりです。室戸から足摺まで長かった。徳島の旅は発心の道場、土佐の旅は修行の道場と言われているとおり、お遍路に修行の苦しみを味わせる場でした。
昨日今日は歩いた歩いた四十キロ、さすがに足が疲れ気味。

旅で出会った不幸、ネコの遺体二、ハクビシンの遺体一、まむしの遺体一、いもり、かえる、かにの遺体多数。
睡魔が襲って来たので寝ます。




< 足摺岬だ、金剛福寺だ > 2002年4月18日 記

やっと着いた足摺岬へ。三十七番寺から四日、遠かった。これで八十八箇所全行程の半分七百キロを歩いた事になる。雨具を着ての歩行まるでサウナ状態、袖口から汗が滴り落ちる。
足摺岬の椿の回廊、楽しみにしていましたが花が落ちたあとでした。
途中の窪川は漁業がさかん、定置網で獲れた魚の直販所や鰹節の工場があり、興味をそそられました。
雨具を着ての三十七キロ歩行、宿の風呂が疲れを癒す最大の妙薬。




< 四万十川を見た > 2002年4月16日 記 その二

とにかく大きい、とにかく水量が多い。悠々と流れている、漁をする船、屋形船のような観光遊覧船、そしてあおのり、川のり、かわえび、ごり等幸も豊富、これが四万十川。 明日足摺岬に到達、三十八番札所金剛福寺をお参りし三十九番寺へむかいます。
遍路中、同行祐治さんが野宿遍路と間違われました。品格と身繕いをモットーウとする和さんとしては、ちょっと残念。

今日のメニュー
鰹の刺身、たけのけとあげこんにゃくの煮付け、白身魚とわけぎの煮付け、すかんぽソーセージいんげんの煮付け、たけのこかまぼこきぬさやの和えものでした。そして御酒




< お遍路さんへのお接待 > 2002年4月16日 記 その一

雨の中足摺岬を目指してひたすら歩いています。四万十川の街中村市に宿をとる。
旅を始めてから多くの方からお接待を受けています。みかん、お金、お茶、お菓子、べんとうなどです。昨日は雨の中同行祐治さんが、傘はめんどうくさいと、濡れて歩いていると、車を止めた女性が走りより自分の傘をさすよう求めました。
なぜ四国の人は歩き遍路に気をつかうのか、それは遍路にお大師様を見るからです。
気を使われるから遍路もそれ以上に気を使って歩くのです。




< 岩崎さんありがとう > 2002年4月15日 記

三十七番寺から二泊三日の旅に同行してくれた岩崎さんとも今日でお別れ、楽しい一時でした。ありがとう。血豆も都会へ帰れば治るでしょう。 昨日は午後から土佐湾の海岸を見ながらの旅、殆ど岩場の海岸線、遠くに足摺岬が霞んで見えます。 途中、八十歳の一人遍路にお会いしました。六十日で八十八箇所お参りするとか、山道を飛ぶがごとくです。凄い人がいるものです。

井の岬温泉泊、夕食。
カメノテとトーフの潮汁、チャンバラ貝の煮付け、カツオとウツボのたたき、タチウオ、メジマグロ、アジの刺身、アジのクリームコーングラタン等でした。




< 佐藤夫妻三十七番寺に登場 > 2002年4月14日 記

昨日は岩崎さんと三人旅、鰹漁業で有名な久礼を通過。町に活気と豊さを感じました。 途中遍路道を見失い八キロのロス、歩き遍路にとって八キロは大きい、四十キロ歩いて宿へ。

この冬奈川でダントツスキーを楽しんだ佐藤夫妻が大坂からかけつけてくれる。地酒二本と地元の新鮮な肴、のれそれ、たちうおの押しずし、えそのたたき、白昆布の巻ずし、鯛の刺身などなど。
そして夜がふけるまで大宴会。




< 岩崎さん遍路旅に合流 > 2002年4月13日 記

右に浦ノ内湾左に大平洋を望みながら一路三十七番札所岩本寺をめざす。
長丁場、新荘川を越えた安和駅近くに宿をとる。

夜、名古屋から岩崎さんが合流、再会を祝って小宴、高知の食に精通している岩崎さん、つまみがなかなかの物でした。醤油豆、土佐天、鰹の生ぶしでした。




< 漁火と灯台の灯、ロマンです > 2002年4月12日 記

三十五、三十六番札所をお参りし、雨の中国民宿舎土佐へ。土佐の海を眺めながら冷えきった体を露天風呂で暖める。
夜中目が覚める、外を見ると真っ暗な海に漁火が燃え、灯台の灯が周期的に海を照らす。青春の頃練習船で日本一周した時の事を思い出す。

夕食は定番、一品料理を注文、長太郎貝の刺身、たこの唐揚げ、たこの酢の物、酒盗、いかの塩辛、あじの塩焼き、当然ながら酒もすすむ。亀泉と土佐深海うまかった。




< 浦戸大橋を歩き仁淀川を越えた > 2002年4月11日 記

昨日は三十一番札所竹林寺から三十四番札所種間寺をお参りし、仁淀川を渡って土佐市へ入りました。
三十二番寺から三十三番寺への途中、高知港に架かる浦戸大橋を渡りました。有料自動車道路なので歩道は五十センチ幅、眼下百メートルが海、高所恐怖症の和さんとしては怖かった。高知市と土佐市の間を流れる仁淀川、川の半分は畑、悠々と流れる川面、ひさしぶりに大きな川を見ました。

昨夜のメニュー
あさりの吸い物、かじきの焼き物、鮪の刺身、うなぎ蒲焼、竹の子とすかんぽの煮付け、ほうれんそうのゴマあえでした。




< 昨日は和さんの誕生日 > 2002年4月9日 記

四月八日は和さんの誕生日でした。そして還暦でもありました。同行の祐治さんが宴を催してくれました。旅の途中で知り合った若い一人遍路が二人、旅程を変更して宴に参加、土佐の地酒で盛り上がった一時でした。
今日は野市町の二十八番札所大日寺、南国市の二十九番札所国分寺、そして高知市内に入り三十番札所善楽寺にお参りしました。歩行距離三十キロ。

高知は田植えの真最中です。二十九番札所では良く手入れされた庭につつじとぼたんが美しい花を咲かせていました。




< 今日は二十七番札所神峰寺にお参 > 2002年4月7日 記 その二

今日は二十七番札所神峰寺にお参り、雨あがりと初夏のような気温、標高五百メートルへの登りは汗びっしょり、境内では桜が散りかけ、つつじが咲き春の雰囲気でした。よく手入れされた庭園と土佐の名水と詠われる冷たい湧き水があります。眼下には唐の浜の集落と土佐の海が広がり心和むお寺です。
お寺では歩き遍路にお茶のサービスをしてくれました。

昨夜のメニュー
うなぎの蒲焼、あさりの吸い物、刺身、ぶり、赤みまぐろ、いかの酢の物と地酒、土佐鶴でした。




< 三十五キロ、三日間疲れた > 2002年4月7日 記 その一

一昨日は室戸岬の宿に泊まる。朝、五時四十五分、水平線が真っ赤に染まり、大きな大きな太陽が真っ赤に燃えながら上がってくる。数分間だけど釘付け、そして感激。
宿では蚊、ごきぶり、百足のお迎え。
昨日は最御崎寺、津照寺、そして二十六番札所金剛頂寺をお参り。午後から雨、宿へ向かって国道をひたすら歩く、車がまきあげる雨水を浴びながる。

一昨日のメニュー
茶碗蒸し、ふきの煮付け、さんまの塩焼き、かつおのたたき、おでんそして御酒でした。




< 昨日の旅は辛かった > 2002年4月5日 記

一昨日足に豆ができる針で穴を開けヨーチンを流し込む。
昨日はまだ完治しない足を引きずっての旅、歩き始めて五分ほどは踏み出すごとに痛みが頭の芯までひびいてくる。その後は足の感覚が麻痺、一休みするとまた痛みと麻痺の繰り返し。
三十五キロ、強風に帽子を飛ばされ、ダンプの行き交うトンネルの中、生きたこごちがしなかった。

阿南室戸国定公園になっている海岸線を見ながらの旅、白砂と遠浅の海、いりくんだ湾、点在する小島、最悪の旅を和ましてくれました。




< 室戸岬まで八十キロ歩く歩く > 2002年4月3日 記

阿波の国最後の札所薬王寺をお参りし、国道五十五を室戸へ向かってひたすら歩く。
歩道がないので車道の縁を歩く、ダンプ、大型トラックが迫って来る感じ、怖い、全長六百メートルのトンネルは恐怖でした。
この先も、もっと長いトンネルが多いとか心配です。

夕食メニュー
しまふぐのアラチリ、牛肉?のタツタ揚げ、刺身、かんぱち、赤みまぐろ、茶碗蒸し、干しだいこんの漬け物、ビール純米酒少々。




< 長かった徳島の旅、明日は高知 > 2002年4月2日 記

阿波、土佐、伊予、讃岐今の四国四県、お遍路の旅では一国参りがあります。これは阿波だけ土佐だけの札所を巡るものです。私達も明日で阿波巡礼を終えます。昨日は太龍寺から下った谷底の宿、龍山荘に泊まる。

夕食メニュー
茶碗蒸し、刺身、めじかんぱ、野菜のてんぷら、お吸い物、だいこんの梅かつおあえ、土筆煮付け、お新香でした。
七時二十二番札所、平等寺へ出発、一山超えて平等寺へ。昨日の疲れも残っているので二十五キロで打ち止め。明日は阿波最後の札所薬王寺にお参りして土佐路へ。




< 毎日毎日汗びっしょり > 2002年4月1日 記

昨日は車にびくびくしながら、徳島市内を通過、小松島市へ十九番札所にお参りし宿へ。
今日は六時半出発、素泊りなので近く喫茶で味噌汁御飯。
二十番札所鶴林寺へ向かう。道路にはほとんど歩道がないので、車に神経を使いながらただひたすら歩く。
山の取りつきから急な登り、二時間かかってお寺へ。一休みする間もなく二十一番札所大龍寺へ、山頂から一気に谷底へそしてまた山頂へ。登ってみれば花咲き乱れる天国のようなお寺。




< 歩いた歩いた四万八千歩 > 2002年3月31日 記

神山温泉を七時半出発ただひたすら歩いた五時宿に着く。素泊りなので近くの寿司屋へ、風体からお遍路とわかるのか、すごく親切。かつおのたたき、磯ものの刺身、さざえ、いさき、きす、そしてめばるの煮付け、辛口の地酒、いさきとさざえのにぎり、徳島の味を堪能。
今日は十八、十九番札所へ。




< 今日は骨休め > 2002年3月29日 記

昨夜は食事のあとどっと睡魔、遍路転がしのアップダウンが相当こたえたみたい。
今日は雨のなか八キロ歩いて神山温泉に到着。早速温泉へ、効能が筋肉痛との事、ゆっくり時間をかけて治療に専念

昼は少し贅沢、生ビール大ジョッキ、神山とうふのやっこ、野菜の煮物、わかさぎの空揚げ、スダチ風味トリ空揚げ、そして梅入りうどん。
二回目の温泉治療、明日は長丁場、三十五キロ。夕食が待ちどうしい。




< 旅の宿は面白い > 2002年3月27日 記

昨夜から雨、昨日頑張り過ぎて今日はペースダウン、雨のなかの遍路旅ちょうどよかった。十番、十一番札所で打ち止め。
お寺近くの宿は満員、四キロ離れた鴨島駅前に宿をとる。
遍路宿は殆どが歩き遍路の人、昨夜泊まった宿では二十代から七十代、ただ皆さん健脚、兵どもの集まりです。百年前、おじいさんが六ケ月かかって八十八箇所巡りをしたときの旅日記を持って旅をしている人がいました。

今日の夕食
アサリのむきみとわけぎのぬた、豚肉、カニ、白身魚のフライのマヨネーズソースあえ、そしてビーフカレー、ビール、コップ酒二でした。




< 歩いた歩いた四万二千歩 > 2002年3月26日 記

一番札所霊山寺を六時半出発、九番札所法輪寺まで歩きました。
同行の祐治さんは、バテバテ。明日はペーダウン。今日の遍路道はほとんどが舗装路、和さんも少し疲れたかな。行き交う車が多く気疲れの方が大変。
このシーズンどの寺も観光バス、タクシー、マイカーで満杯、どの寺も増築、改築でおおいそがし、遍路宿も予約でいっぱい。
四国路は今お遍路狂騒曲。

今日の夕食
刺身、焼き魚、素うどん、野菜のてんぷら、ピール、カップ酒各一でした。




< 遍路旅が始まりました > 2002年3月25日 記

今朝の奈川は真冬なみの寒さ、春の訪れはまだまだ先のようです。
奈川から八時間、徳島県は春爛漫、桜、れんぎょう、チューリップ等等、奈川では五月末から六月初旬の花たちです。
一番札所、霊山寺、お遍路用品を買う人とお参りする人でごった返していました。私達も買いました、白装束、金剛杖、ずた袋、数珠、経本等等です。
シーズンとは言えすごい、宿はどこも予約でいっぱい、宿は強気です。
明日は宿を求めて三十五キロほど歩きます。

今日の宿
民宿阿波、板東駅と霊山寺の間。
夕食。刺身、焼き魚、酢の物、かぼちゃ、ごぼう、竹の子の煮物、味噌汁、お新香。ビール一本




< 四国お遍路の旅、序章 > 2002年3月21日 記

この二十五日から四国お遍路の旅に出ます。空海(弘法大師)の足跡を求めて縁の寺社八十八箇所をめぐります。
全行程千四百キロ、今回は三十日、千二百キロをめざします。
同行するのは大師様と中村裕二さん、どんな旅になるか、どんなアクシデントが待っているか、まったくわからない。
旅の一日目から遍路旅日記を皆様にお伝えします。





 お問い合わせは 山荘 奈川倶楽部 E-mail/aripa@nagawa-club.com へお気軽にどうぞ

〒390-1611 長野県松本市奈川 1173-89

Tel 0263-79-2444 / Fax 0263-79-2444