第四回・お遍路日記   オーナー和さんによる第四回・遍路旅日記 2004年11月11日号〜2004年11月23日号 

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< 今回の遍路旅も今日で区切り > 2004年11月23日 記

十一月二十二 日晴れ。
徳島池田町から六十六番札所、雲辺寺を目指す。雲辺寺は標高九百メートルにあり、札所のなかでは一番高い所にある。香川県側からはロープウェイも通っている。
遍路道に取り付き急登、汗がふきでる、二時間で山頂へ。本堂、太子堂にお参りし、番外十六番萩原寺へと遍路道を下る。萩原寺、六十七番大興寺にお参りし、今回の遍路旅は区切りです。Tさんは二日の同行で足の爪を剥がして大変みたいです。




< 吉野川は悠々たる流れ > 2004年11月22日 記

十一月二十一日晴れ。
昨夕からTさんが同行。吉野川の清流に沿って番外十五番箸蔵寺を目指す。ほとんどの参拝者は麓からロープウェイで山頂へ。遍路道を間違え急なガレ場を登り何とか山門に辿りつく。山門から境内までの石段が長い。境内から本堂までの石段がさらに長い。膝がガクガク、本堂まで上る人は少なく紅葉が見頃で静かなたたずまい。
今日も昼食は持参のクッキーでした。




< 遍路道に土石流のあと > 2004年11月21日 記

十一月二十日晴れ。
七時出発、コンビニでパン二個買い六十五番札所三角寺を目指す。遍路道は荒れに荒れている、道と言うよりもほとんど沢、踏み跡を探しながら山頂へ。川之江の街と瀬戸内海が一望できる。
三角寺は端正で落ち着いた雰囲気。お参り後番外十三番札所、仙龍寺へ遍路道が通れないので車道を行く。アップダウンのはげしい路を往復十八キロ、足にこたえる。番外十四番常福寺にお参りし宿へ。今日も四十キロ超歩く。




< 今日も四十キロ > 2004年11月20日 記

十一月十九日雨後曇り。
七時出発、六十四番札所前神寺にお参りする。今日は六十五番札所の麓、伊予三島市を目指し国道十一号の旧道をひたすら歩く。
久し振りに食堂で食事、カキ定食とラーメン、うまかった。途中番外札所十二番延命寺にお参り。歩き遍路と言うことで納経代をお接待してもらう。
五時宿へ、後半は思うように足が前にでない。




< 歩いた歩いた四十五キロ > 2004年11月19日 記

十一月十八日雨。
七時出発国道十一号を上る。六十一番札所香園寺、六十二番宝寿寺、六十三番吉祥寺にお参り。
台風で道路が寸断されている六十番札所横峰寺が設けた仮納経所へ向かう。納経所は石づち山登山口の手前、途中台風の残した爪後が至るところに見られる。特に黒瀬湖の周りは凄まじい土石流の跡、木々はなぎ倒され、家は潰されたまま、道路は何とか仮復旧されている状態。
往復四十キロ、四時過ぎ宿へ、そう言えばこの四日昼食ぬき、数枚のクッキーで済ませている。おかげで夕食がうまい。




< ツワブキの花 > 2004年11月18日 記

十一月十七日晴れ。
七時半出発、番外十番興隆寺を目指す。はく息が白い、伊予路にも晩秋の訪れか。でもなにか秋を感じられないそれははっきりとした紅葉がないからと納得。
番外寺は道標も少ないので地図と地元の人が頼り。標高三百メートルの急登、汗がふきでる。境内は甘酒のお接待もあって結構賑わう。ここでも崖崩れ、倒木といった台風被害がすごい。
番外十一番札所生木地蔵にお参りし宿へ。野の花の少ないこの季節、路傍に咲く黄色いツワブキの花が目に残る。
宿は国道十一号沿いの、湯の里小町温泉しこくや、食事、お部屋、サービスなどよかった。




< 愛媛県の中央へ > 2004年11月17日 記

十一月十六日晴れ。
昨夜は造船とタオルの町、大西町に泊まる。
七時半出発、道路は出勤の車で渋滞、街の活気を感じる。五十四番札所、延命寺にお参りし今治市内へ向かう。
五十五番札所、南光坊から五十九番国分寺まで市内を横断する。
途中六十番札所、横峰寺、標高七百五十メートルが台風で車道、遍路道とも通行不能とのこと。この先四国山脈の中央部へ入って行くので心配です。




< 蚊とゴキブリ > 2004年11月16日 記

十一月十五日雨から曇り。
昨日の宿は五十三番札所の近く。居間には四国八十八箇所、番外二十箇所、西国三十三ヵ所等全国の霊場にお参りした御朱印の掛け軸が、ところせましと飾ってあり、信仰の深さが伺えました。

部屋は四畳半、食事後すぐに就寝、部屋を暗くしたとたんブーンと蚊の襲来、灯りを点けると飛んで行く。蚊を追いかけカーテンをめくった瞬間黒い物体が飛びだしてくる。よく見ると奈川に来て以来会ったことのないゴキブリちゃんでした。部屋中追っかけ、なんとか捕らえてゴミ箱へ。蚊との戦いには負け、睡眠不足の一晩でした。




< 松山市内を横断 > 2004年11月15日 記

十一月十四日曇り。
七時半出発、昨夜の宿は十畳に一人、食事時には御主人がつきっきりで手広く行っている事業のこと、良く行くベトナムのこと、昔近所には遍路宿がたくさんあったが、特効薬の開発される前で結核や癩病で滅んだこと等を話してくれました。

番外寺九番文殊院にお参りし昼前に道後、五十一番石手寺に着く。茶店で昼食、五十二番大山寺を目指し松山市内を横断、道に迷いながらも多くの人の案内で大山寺に着く。




< 松山市にはいる > 2004年11月15日 記

十一月十三日晴れ。
七時半出発、久万高原の朝はぐっと冷え込む。三坂峠を目指し荒れた遍路道をひたすら登る。小指と親指にできた豆の痛みが頭の芯に響く、ひたすら我慢。
国道三十三号に出て三坂峠越え、四十六番札所浄瑠璃寺を目指し急坂を下る。浄瑠璃寺、四十七番八坂寺にお参りして宿へ。

昨日、今日と昼食ぬき、クッキー数枚とお茶で終わり。山越え山越えの二日でした。




< 岩屋寺周辺は紅葉真っ盛り > 2004年11月15日 記

十一月十二日曇りから晴れ。
夜中ずっと雨、昨夜用意されたおにぎりを食べ六時半出発、雨が不思議と止む。四十四番札所、大宝寺を目指しひわ田峠を越える。標高五百から八百メートルのアップダウンが続く、全身から汗がふきでる。十一時過ぎ大宝寺に着く、茶店でカステラパン、かりかり梅をお茶で食べる。
一休みして四十五番札所岩屋寺へ、山越えの遍路道でまた大汗、奇岩を背にした岩屋寺は本堂の上に山門がある。昔は山越えでしかお参りできなかったと思われる。

宿は国民宿舎古岩荘、食事は並みでした。




< ちょっとペースダウン > 2004年11月15日 記

十一月十一日雨から曇り。
明け方の大雨が嘘のように出発時、八時半には曇りとなる。
今日は内子から久万高原、広田村までの二十四キロの旅。昨日の景色はミカン畑、今日の景色は柿と栗畑、至るところに柿の無人販売、安い一袋五個で百円でした。
久万地方は四国山脈の中心、冬にはスキー場もオープンします。




< ちょっと張り切りすぎ > 2004年11月11日 記

十一月十日晴れ。
昨夜御馳走になった河豚のフルコースのエネルギーを体に蓄え八幡浜を出発、標高八百メートルの出石寺を目指す。あえぎながらの四時間半で山頂へ。本堂と大師堂で般若心経、久し振りに清々しい気分。境内の茶店で素うどんと稲荷寿司、うまかった。

大洲市の番外札所、十夜ケ橋を目指して十六キロをいっきに下るつもりが台風による倒木で遍路道が寸断、札所に着いたのが五時前、結局九キロ先の内子の宿に着いたのは七時でした。
さすがに疲れました。




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